2012年5月27日

教会の春のピクニック

今日礼拝の後で皆さんと一緒に淡路ふれあいパークに行きました。そこでお弁当を食べたり、ゆっくり話したり、楽しい時間を過ごしました。新しい友達も来て、本当にうれしいです。

2012年5月18日

ありがとうラウラさん!

ヒルボネン・ラウラさんは淡路教会で約5週間ボランティアとして働いて、5月18日にフィンランドへ帰りました。ありがとうラウラさん!

ラウラさんは写真で右の方です

2012年5月7日

海外宣教と教会と私


海外宣教と教会と私

 今日は素晴らしい日だと思います。私達は一緒に池上真祈先生をホンコンに派遣することができるからです。

私は(D.ヌンメラ)淡路福音ルーテル教会で牧師として働いています

池上真祈先生は6月の1日にホンコンへ宣教師として遣わされています

 キリスト教会の一番大切なメッセージとは何でしょうか。それは、イエス・キリストが私達の代わりに十字架で死なれ、私達の罪を贖われ、復活されたということです。ヨハネの福音書によると「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとしてびることなく、永遠の命を持つためである。」海外宣教は実際にこのよき知らせを述べ伝えることです。つまり、主イエスは救い主であるという福音を述べ伝えることなのです。こうして、私達は今日本当にこのような大切な事を前にして、共に集まっているのです。
 実際に、イエス様はマタイの福音書で全世界に出て行って、み言葉を宣べ伝えるようにとおっしゃいました。マタイの福音書28には「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマをけ、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたと共にいます。」と書いてあります。このみことばに従って私も日本に来ました。日本人にことばを伝えたい、日本人に主イエスの救いを伝えたいと思ったからです。
 ところで、人類の約3分の1はまだイエス様について知らないというのが現状です。だから、キリスト教会の一番大切なミッションは今日もイエス様が与えられた福音を述べ伝えることなのです。つまり、世界中でイエス・キリストについて証をすることです。しかし、海外宣教は教会の責任だけではなく、私達の皆の責任なのです。ですから、私達は皆海外宣教についてそれぞれ重荷うべきです。
 しかし、キリスト教会の中でに大切なことは、「何をするか」ではなく、「主イエスとともにむ」ことです。これはどういう意味でしょうか。マルコの福音書の3:14-15に書いてあります「そこでイエスは12弟子を任命された。それは、彼らを身近き、また彼らをわして、福音を宣べさせ、悪霊を権威たせるためであった。」マルコによると、イエス様は弟子たちをまずに、自分の近くに置かれました。そして、その後で弟子たちをわされました。これについてはこんにちも同じです。イエス様は今日も私達をわされる前に、ご自分のくにかれるのです。
 けれども、私達皆が、世のてまで行くことはできないでしょう。実際に、私達は皆海外宣教について重荷っていますが、全員が宣教師として働くことはできません。それで、キリスト教会は聖霊のきのに、使徒パウロの時代からある者たちだけを選んで、教会の代表者として、福音を述べ伝えるという任務を与えてきました。これについては例えば使徒の働き13:1-4に記されています。
 私はクリスチャンホームに生まれました。それで、子供のときから聖書の話を聞き、小さい時から当たり前のようにイエス様を信じていました。そして、私の家族は1980年代に、3年間宣教師として働いていたので、宣教も私にとって身近なことでした。また、私の妻、マリも同じような経験を持っています。それで、結婚する前には宣教についてよく話しました。しかし、その時、二人とも宣教師のを与えられていませんでした。ですから、20歳の時はまだあまり宣教師になりたいという考えを持っていませんでした。
 実際に、宣教師にはいつも2つのが必要です。まずは自分の心の中に与えられる内部です。それは、聖書を通して神様が私達にこのような宣教の使命を与えられたことを理解して、宣教師としての道を歩むことを決心するというです。しかし、内部のだけは十分ではありません。外部も必要なのです。外部の召命は教会から来ます。つまり、ある教会が内部を受けた人を宣教師として海外にわすというなのです。しかし、私と妻は2006年当時、そのどちらも持っていませんでした。
 ところで、2006年に、私たちは日本をれました。それは妻と一緒に、妻が子供の時住んでいた日本の町を見るためでした。その時日本でいろいろな所へ観光に行きました。例えば天理という町に行きました。そして、私は西宮南教会で説教して、その時日本に住んでいたマリの通訳してくれました。また、日本にある小さな教会も少し見ました。やがて、旅行から帰った後で自然と、内部の召命が起こり、妻と宣教師になることについて真剣に相談し始めたのです。
 ところが、色々なことが邪魔をして、その時は結局まだ宣教師になる時ではないという選択をしました。そのような選択をしたにもかかわらず、特に妻のに対する思いはごとに強くなりました。それで、家族や友達などに、この事についてよく祈ってくださいとみました。また、何度も二人で話し合って、ようやく宣教師の募集に申し込むことになったのです。こうして私たちの内部の召命はいました。やがて、フィンランドルーテル宣教会から外部の召命も与えられたので、宣教師になることができたのです。
 実際に日本に来るまえには、もちろんその後でも多くの事を考えなければなりませんでしたが、その中で一番大切な事は祈ることでした。もちろん、私たちの祈りも必要でしたが、宣教師をす人たちの祈りは非常に大切でした。また、宣教師も、皆さんと同じように生活をするための給料必要になってくるので、信徒の方々は献金などによって、宣教師をえ続けることも大切なのです。
 ですから、宣教において、いつも2種類の人間が必要です。実際に宣教師として働く人と、その活動をえる人です。このように、一人の宣教師をすためには、その活動を祈りと献金によってえる大勢の人が必要なのです。それで、私達は皆池上先生をえるために、大切な働きをっているとえます。
 ところが、実際はどうでしょうか。宣教師とわりのある教会だけが、積極的にこの働きをっていることはないでしょうか。しかし、それは正しくありません。イエス様は全ての教会に宣教の命令を与えられたからです。だから、皆さん、あなたが宣教の中でできることはどういう事かを、考えて見てください。少なくとも、池上真祈先生をお祈りの中で覚えましょう。池上先生にとって、私達のお祈りは非常に大切なことなのです。また、祈ることだけではなくて、具体的な支援も必要です。私達はそれぞれ自分が出来ることを考えましょう。海外宣教は池上先生の責任だけではなくて、私達皆の責任なのです。



D.ヌンメラ (海外宣教のつどい、東徳島福音ルーテル教会、5月6日(日)午後2-4)